コピー機のアルバイト2年~4年目まで

アルバイト,大学2年,大学3年

僕にとって最も楽しい1ヶ月は大学2年生の時の3月、コピー機のアルバイトをした時だった。1年目は学芸台を選んだが、2年目は学芸大学が空いておらず、二子玉川を選んだ。始めたのは確か2月中旬だった。同時に始めたのが慶応大学のS君で、理系で僕よりもシャイだが、なぜか気が合った。そして、僕が昨年もやっていたことでリーダーに選ばれた。

3月になると人員が多く補充され、メンバーは僕とS君、青山学院の木元君、本多さん、大正大学のK君、佐金さん、小山さん、藤沢さん、上木さん、岩崎さん、藤吾君、明治学院の白根君となり、かなりの大所帯になった。僕は年齢を少し偽って先輩風を吹かせていた。仕事をしながらも会話は盛り上がり、リーダーとして主導権を握り、メンバーがみんなと話せるように交替を指示した。みんな楽しみながら仕事をしてくれた。男女半々の構成だったので、ペア作業を組んで楽しく仕事ができていたと思う。自分がリーダーシップを発揮していた最高の時期だった。

そして3月の最終日は新宿で飲み会を開き、今でも忘れられないほど楽しいものだった。写真は今でも飾ってある。

しかし、短期バイトが3月下旬で終わると、すごく寂しくなった。楽しかったあの時間がもうないと思うと、4月、5月はぼんやりと過ごしてしまった。寂しさのあまり、何の用もないのに二子玉川に行ってしまったこともある。

コピー機のバイト3年目

大学3年生の時、前年の楽しさを知っていたため、再び二子玉川を選んだ。しかし、前年から続けていたのは、僕とS君、植木さん、Sさんの4人だけだった。新たなメンバーには同学年の3人組の男性がいて、僕は彼らと何となく競争心を燃やしていた。植木さんは彼らと仲良くしていた。リーダーの座はその3人組の一人に奪われ、僕は主導権を発揮できず、つまらないと感じる時間が多かった。最後の飲み会では彼らと一緒に飲んだが、あまり仲良くなれなかった。

コピー機のバイト4年目

大学4年生になり、3年生の時の失敗を踏まえ、気が合わなかった3人組とまた同じ場所で働く可能性を避け、最初に選んだ学芸大学を選択した。学芸大学はメンバーが少なく、S君もここを選んでくれたので、一緒にバイトをすることになった。この時のメンバーは、僕とS君、日本大学の学生、1年下の青山学院の学生の4人の男性と、掛川美和さん、背の低い石黒真紀さん、名前は思い出せないが体育大学の女性の3人だった。2年目ほどではなかったが、それでも楽しい時間を過ごせた。特に最後の飲み会は大いに盛り上がった。

しかし、その後僕も社会人になり、もう会うことはなかった。なぜか社会人になってからは、学生を誘うことはふさわしくないというような固定観念があった。楽しい時間を過ごした仲間だったので、その後も交流や飲み会があっても良かったと思う。

今でも付き合いのある友人

僕の学生時代のアルバイトはコピー機のバイトに始まりコピー機のバイトに終わった。
実は今でもふじわらくん、s君、Uさんとは付き合いがあり、2から3年前は飲んだりした。
みんな結婚して世帯もちになぅた。大人になった。
大学時代から今でも付き合いのあるのは彼らくらいだ。短期間のバイトだったが、それだけ楽しい経験したからだと思う。

自己分析:反省するべき点

好きなのに、反対の行動を取ってしまうことがある。好きであるにも関わらず、「嫌い」と言ってしまったり、会いたいのに会いたくないふりをしたりする。私はそういう性格で、コピー機のバイトの仲間と会う機会が何度もあったにもかかわらず、わざと会いたいと思いながら会わないと言ったりしてしまった。他人からの注目を求める欲求や虚栄心が邪魔をして、素直になれなかったのだ。もっと素直に、単純に会いたいと言って楽しむべきだった。