友達もいない暗い高校時代で中国拳法に出会う
何も学んでなかった大学時代
小学校から大学までの学生生活を振り返ると、大学時代が最も充実していたかもしれない。勉強よりもアルバイトや自己探求のセミナーに興味を持っていた時期だ。今になって思うと、もっと勉強に励んでいればよかったと心から感じる。また、何らかのスポーツや体を動かす活動に参加していればと後悔している。当時は楽な方向に逃げてしまっていたように思う。
そもそもなぜ大学に入りたいと思ったのか
特にコンプレックスを感じていたのは、吃音と運動音痴だったこと。当時はこれらの問題が友達ができない原因だと信じていた。多くの書籍を読んで自分なりに解析し、吃音は胆力がないからだと結論づけた。そして、運動音痴も何とか克服したいと強く願った。
その解決策として武道を学ぶことを決意。高校には空手部があったが、先輩たちが怖そうだったので入部を躊躇した。そこで近隣の道場を探し、電話帳で調べた結果、少林寺拳法の道場を見つけ、そこで学ぶことに決めた。
少林寺拳法に入門
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後述するが、少林寺拳法の道場に入門したのは16歳の時だった。その後、柔術や柔道を学んで今にいたる。今振り返ると、自身が良い方向に進むきっかけをくれたのはいつも武道だったと気づく。高校時代、友達がいなくて寂しかった自分を少しでも救ってくれたのが武道であり、大学に進む決意を固めさせてくれたのも武道だった。
結婚後、子供ができないと諦めかけた時期もあったが、柔術の試合に挑戦したことがきっかけで子供を授かった。その時も、武道の力を感じた。会社を辞め、心が荒んでいた時期も、週一の柔道が心の支えとなった。柔道を通じて前向きな気持ちを取り戻し、人生が好転した。
武道を始めた目的は自身を強くすることだったが、強くなったという感覚は特にない。しかし、武道を通じて何かが発散され、物事がうまく運ぶような感覚を得られた。武道によって人生が救われたと言える。
さて、話が逸れたので元の話題に戻ろう。
少林寺入門
少林寺拳法の道場に入門した際、自己紹介で「心を強くしたい」と述べた。それを聞いた中学生の下級生らしき人たちが自分を嘲笑った。その時の恥ずかしさと悔しさは今でも覚えている。少林寺拳法は型の練習が主で、対人練習もあったがほとんどが約束組手だった。フルコンタクト空手のようなスパーリングは行わなかったので、体力がなく運動音痴だった自分でも馴染むことができた。
最初の半年はついていくのに精一杯だったが、1年が経つと昇級試験も受け、型もそれなりにこなせるようになった。少林寺拳法の面白さも実感できたように思う。指導者は厳格で、挨拶にも厳しかったが、毎回「武道は人を助け、人のためにある」という教えを語っており、それに感銘を受けていた。
恍惚体験を経験する
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少林寺拳法を続けておそらく2年目のある日、振り子突きの練習中に恍惚体験をした。それはまるで「ハイ」になったような感覚で、周囲が非常に明るく見え、自身が非常に生き生きとして感じた。今思うと、それはランナーズハイだったのかもしれない。