1995年、初めてのインターネット――Windows 95と僕の衝撃体験

大学生の時

初めてのインターネット体験――画面の向こうに広がる世界

1995年、新卒で入社した会社をわずか半年で辞めた僕は、大手カメラ量販店で派遣店員として働いていた。

ちょうどその頃、Windows 95 が発売され、日本中がパソコンブームに沸いていた。しかし、僕はPCのことなどまったく分からない。それでも販売補助として、パソコン売り場を手伝うことになった。

ある日、売り場のデモ機で「インターネット」というものを初めて目にした。画面に映し出された「ホームページ」。そこには、まるで雑誌のように写真や文章が並び、クリックすると別のページに飛ぶことができる。

「これが、未来の世界なのか…」

その瞬間、僕は強烈な衝撃を受けた。

しかし、あの日パソコン売り場で見たホームページの画面は、確かに僕の心に強烈な印象を残した。

ブラウザを開けば、遠く離れた場所の情報が一瞬で表示される。雑誌やテレビとは違い、誰でも情報を発信できる。クリックひとつで別のページに飛べるその感覚は、まるで未来の扉を開けたようだった。

「これは一体、なんなんだ?」

PCに詳しくない僕でも、その革新性だけは肌で感じ取ることができた。でも、その時はまだ、それが自分の人生にどう関わるのかなんて、考えもしなかった。

その日以来、売り場での仕事をしながらも、気づけばインターネットのデモ機を眺める時間が増えていった。

「このページはどうやって作られているんだろう?」
「どこから情報が送られてくるんだ?」

そんな疑問が次々と浮かび、気になって仕方がなかった。しかし、当時の僕にはHTMLやサーバーの知識なんて皆無。そもそも、パソコンの操作すらまともにできない。ただただ、画面の向こうに広がる未知の世界を、驚きとともに見つめていた。

ある日、同僚のスタッフが何気なく言った。
「最近は“プロバイダー”っていうのに契約すれば、家でもインターネットができるらしいよ」

“プロバイダー”――聞きなれない言葉に、僕はまたひとつ興味をかき立てられた。

でも、この時点ではまだ、自分がこの新しい世界にどっぷりハマることになるなんて、夢にも思っていなかった。

余談:あの頃のソフトバンク

本題から少し脱線するが、今では携帯電話の会社として有名なソフトバンクという会社を、実はこの頃から僕は知っていた。

というより、カメラ量販店の卸先として、ほぼ毎日のようにソフトバンクの営業が店に来ていたのだ。ソフトバンクという会社は、もともとソフトウェアの卸売りから始まっている。そして、当時一番よくソフトが売れるのが、僕が働いていたようなカメラ量販店だった。

毎日のように店に顔を出していたのが、たしか森さんという営業の方。すごく気さくで、ただの派遣店員だった僕にも分け隔てなく接してくれた。品出しを手伝ってくれることもあったし、僕が何も知らないのを見かねて、PCやインターネットについてもいろいろ教えてくれた。

単なるソフトの卸業者ではなく、「売れる仕組み」をよく理解しているデキる営業マンだったが、決して偉ぶることはなかった。新人の僕にも気軽に話しかけ、いろいろと世間話をしながら業界のことも教えてくれた。

まさか、そのソフトバンクが携帯電話事業に参入し、日本を代表する大企業に成長するなんて、当時の僕には想像もできなかった。

派遣から就職、そして広告代理店へ
派遣の仕事を続けたあと、僕は25歳のときに印刷会社へ就職した。

当時、インターネットが少しずつ世の中に浸透していたとはいえ、印刷業界はまだまだ紙媒体が中心。新聞、雑誌、パンフレット、チラシ――情報発信の主流は、あくまで紙だった。印刷会社では数年間働き、やがて広告代理店へ転職した。

広告代理店の仕事は華やかに見えるが、実際はクライアントの要望に応えながら、紙面広告のデザインやキャッチコピーを考える毎日。インターネット広告の存在もちらほら聞くようになっていたが、まだ本格的に取り組んでいる企業は少なく、僕自身もネットとは無縁の世界で仕事をしていた。

リーマン・ショックと突然の解雇

しかし、そんな状況が一変したのが2008年のリーマン・ショックだった。

経済が一気に冷え込み、広告業界も直撃を受けた。広告代理店の収益は激減し、紙媒体の広告は次々と削減。会社の雰囲気も徐々に重くなり、「この業界も長くは持たないかもしれない」という空気が漂い始めた。そして、ついに会社は大規模なリストラを決断。

僕もその波に飲まれ、解雇されることになった。

突然の失業。これからどうするべきか、途方に暮れた。

ふと思い出した、あのときのホームページ

そんなとき、ふと脳裏に浮かんだのが1995年に初めて見たインターネットの世界だった。

カメラ量販店で働いていたとき、Windows 95のデモ機で見たあのホームページ。情報が画面上で自由に動き、クリック一つで次のページに進める感覚。紙とは違い、ダイナミックで、どこまでも広がっていく可能性を秘めていた。

「時代は、紙からインターネットへと移り変わっている」

リーマン・ショックの影響で紙媒体の広告は縮小する一方だったが、インターネット広告は逆に勢いを増していた。そして、企業がホームページを持つことが当たり前になりつつあった。

ならば、僕もこの世界に飛び込んでみよう。

そう決意し、ホームページデザインの道へ進むことにした。

ホームページデザイナーへの転身

広告代理店を解雇された僕は、決意を新たにホームページ制作の世界へ飛び込むことにした。

とはいえ、デザインの知識はあっても、Webの仕組みやコーディングはまったくの未経験。このままでは通用しないと思い、ホームページ制作を学べる専門学校に通うことを決めた。

そこでは、HTMLやCSSの基礎から学び、デザインソフトの使い方、サイトの構成やユーザーの導線設計まで、Web制作のあらゆる知識を身につけていった。授業の課題で実際にサイトを作りながら、気づけばあの時カメラ量販店で感動した「ホームページの世界」が、今度は自分の手で形にできるようになっていた。

デザイナーとしてのキャリア

専門学校を卒業後、僕はWebデザイナーとしての道を歩み始めた。最初は小さな制作会社で下積みをしながら、企業サイトやECサイトのデザインを担当。紙媒体とは違い、Webならではのレイアウトや配色、ユーザーの操作性を意識したデザインを求められ、試行錯誤の連続だった。

それでも、この仕事は楽しかった。自分がデザインしたサイトが、インターネット上に公開され、多くの人の目に触れる。 それまで紙の広告を作っていた頃とは違い、データを更新すればすぐに情報を届けられるダイナミックさも新鮮だった。

そして、気づけば僕はWebデザイナーとして活躍するようになっていた。

あの時の衝撃が、僕の未来を変えた

もしも1995年にあの売り場でインターネットに触れていなかったら、僕はきっと今でも紙媒体の仕事にこだわり続けていたかもしれない。あの時の衝撃、**「未来の扉を開けたような感覚」**が、結果的に僕のキャリアを大きく変えることになったのだ。

インターネットの世界に驚き、憧れ、そしてその中に自分の居場所を見つけた。

あの日感じたワクワクは、今も変わらない。