大学生活の開始

大学生の時

中国拳法サークル再開

大学入学後、まず中国拳法の先輩に挨拶に行った。先輩たちは僕の大学入学を喜んでくれた。
すぐに練習を再開したが、1年以上体を動かしていなかったため、練習の開始は本当にきつかった。
1つ上の先輩も新しく入部していたようだが、その先輩にボコボコにされた。
これからは、再開して、さらに強くなるんだと思っていた。
中国拳法サークルには1つ上の先輩として福家さん、図師さん、三木さん、佐藤さんがおり、また僕と同じ年代として、井上君と大橋君の2人が新たに入部した。
サークルは人数が増え、練習も盛んに行われた。
大学1年の夏から秋にかけて、僕は大橋君とT先輩と一緒に練習をしつつ、親しく付き合った。3人で四国へ車で旅行に行ったり、18歳の夏を満喫し、とても楽しかった。
しかし、様々な問題が起き、冬にはT先輩との間にトラブルが発生し、絶縁することとなった。その後、大橋君からも避けられるようになり、連絡も途絶えた。

大学入学後のクラスの友達

大学にはクラスが存在していたが、クラスで授業を受けるのは特定の科目のみだったので、大きな意味はなかった。
しかしながら、私が友達を作ったのはこのクラスの中でだった。
たまたまクラスの大泉君という学生が私に声をかけてくれ、一緒にサークル活動などを楽しむことになった。
この大泉君は、私が大学で4年間過ごした中での最も親しい同期生だった。

彼は水瓶座で、私は牡羊座。性格の相性は必ずしも良いとは言えなかった。話が合わないこともしばしばだった。
彼自身も他の人たちとは少し違った部分があったようだが、私は彼と一緒にいると何故か安心した。彼とはよく将来の彼女の話などをしていた。
カラオケやスキーにも一緒に行ったことがある。
性格や話の内容が一致しないことはあったが、彼は私の大事な友人の一人であった。

大学入学後、放送サークルに入るも2ヶ月足らずで辞めてしまう

大学入学の目的はやはり楽しむこと。高校時代、友達がいなかった私は、友達とサークルで楽しむのを心待ちにしていた。気の合う友達を見つけたいと思い、さらには付き合える彼女ができればなという期待を抱いていた。

当時はテニスサークルが全盛であったが、私は運動が得意でなく、テニスは向いていないと感じていた。そこで文科系のサークルを探していたところ、放送研究会に誘われた。放送研究会では主に大学祭のアナウンスやイベントの企画を担当し、アナウンサーや裏方の技術スタッフを募集していた。吃音症で人前での話すのが得意ではなかったので、裏方の仕事に興味を持った。しかし、サークル活動といっても、主に会合して話し合い、夜は飲み会をする、というものであった。同学年の女の子も何人か入部を決め、私のクラスメイトの佐伯君も入部したので、私も追随して入部を決めた。

今思えば、私は真剣にサークルを選んでいなかった。ただ楽しめれば良いという考えで選んだ結果が、後の失敗の原因となった。実際、後の就職活動でも同じような過ちを犯し、何度も転職を経験した。

当時の私は明確な目標がなく、ただ楽しむことと友人作りを求めていた。50年後の現在の自分がタイムスリップして過去をやり直せるとしたら、恐らく柔道部やレスリング部に入ったり、ビジネス系のサークルを立ち上げたりするだろう。

話は脱線したが、そんな友達目当てでサークルを選んだ。
飲み会は週1回のペースで開かれ、先輩も非常に楽しい先輩が多く、多いに盛り上がった。
まわりのみんなも、田舎の出身が多く僕と同じような地味な同学年が多かったので、決して居心地は悪くなかった。
飲み会は非常に楽しかったと記憶している。
しかし、自分の中にある何かが邪魔したのだろう。何故か女の子と話すのを照れてしまい。
それを女の子が自分が拒否しているとおもってしまったのか。互いに無視する険悪な関係になってしまった。
その噂がひろまったのか、他のメンバーにも影響したのか。当時は自分の考え過ぎもあったのかもしれない。

あんなに行くのがたのしかたつあのが。結局2か月足らずで行かなくなってしまぅた。
せっかくの楽しく大学生活を過ごすと夢であったサークルの僕は2ヶ月足らずでやめてしまった。
結局あの時僕の小さな見えやエゴが原因でまわりとの不仲をつくりだした。

僕は素直になれない。正直なれないことが多い、この後の人生も自分に正直なれないということで
大きな損をたくさんしているのである。